東京都立高校入試【過去問】解答と傾向-平成26年
東京都立高校入試【過去問】解答と傾向-平成26年
解答・・・( )内は点数
【一】
(1) カンショウ (2)
(2) キョウタン(2)
(3) メイカ(2)
(4) あざ(やか)(2)
(5) つの(る)(2)
【二】
(1) 初春(2)
(2) 逆(さ)(2)
(3) 富(んで)(2)
(4) 客室(2)
(5) 陸橋(2)
【三】
〔問1〕ウ(5)
〔問2〕エ(5)
〔問3〕イ(5)
〔問4〕ア(5)
〔問5〕解説参照(5)
【四】
〔問1〕イ(5)
〔問2〕エ(5)
〔問3〕ア(5)
〔問4〕ウ(5)
〔問5〕解説参照(10)
【五】
〔問1〕ウ(5)
〔問2〕ア(5)
〔問3〕さしも知らじな(5)
〔問4〕エ(5)
〔問5〕解説参照(5)
解説(【一】、【二】については省略)
【三】
(あらすじ)
理科教師の紺野先生は星を見るのが好きである。海辺の田舎町に赴任したのをきっかけに、ある秋の日の午後、北斗七星が日没と共に水平線すれすれに姿を見せる光景を目当てに散歩に出た。途中彼は、運動会に備えてリレーの練習をする少年たちと、傍(かたわ)らに座り浮かない顔で練習を眺めている少年に出会う。聞けば少年は、最近怪我をして走れない、本来なら自分が選手なのに、悔しい、との話であった。紺野先生は、一方では少年の気を引き立たせるつもりで、また一方ではもともとの興味から、水平線の美しさ、なかでも秋の深まるこの季節に限って北斗七星の柄杓(ひしゃく)の部分が水平線に没して水を汲んでいるかのように見えることなどを少年に語って聞かせる。少年を自宅まで送り届けた後紺野先生は帰途に就くが、見送る少年の顔は先ほどまでの憂(うれ)いが少し晴れたかのように見えた。
〔問1〕
傍線部(1)は太陽の動きと光に焦点を当てながら空と海面の色彩を時間を追って描写した文章である。また、単なる客観的な描写のみならず、「海面にほどこされた金箔」のような比喩も用いている。以上のことからウが最も適切な説明と言える。
アは、「多角的に分析」が合わない。
イは、「論理的に表現」が合わない。
エは、「一瞬のうちに変化した」が合わない。傍線部(1)の箇所は、ある程度時間が経過してしている情景を描写している。
〔問2〕
一見、紺野先生は専ら教師としての役割から少年の気持を励ます目的で傍線部(2)の言葉をかけているようにも取れるが、文章全体からわかるように紺野先生は、ややもすれば、今のところ星にさほど興味がない少年をさしおいて自分だけが夢中になりそうなほどに星が好きなのである。そうは言いながらも、そもそも少年を心配して言葉を掛けてあげたという事実や、後の傍線部(4)の少し前、「紺野先生は自分ばかりが愉しんでいるようで、気がひける」という記述からも読み取れるように、少年に対する教師らしい気遣いを忘れていない。それゆえ、「星に対する興味」と「少年への気遣い」を併せ持ちながらも前者に重心がある。よってエが適切。
アは、「見晴らしのよい(・・・)気付かない少年」が合わない。少年は空の色彩の変化に気付かないわけではなく、見慣れた景色の美しさを意識していないだけである。
イは、「北の海をつまらないと言う少年」が合わない。そのような発言は無い。
ウは、「少年の気持ちをよそに(・・・)一人で水平線をながめることに集中しようっと思う」が合わない。紺野は星の美しさを少年と共有したいと思っている。
〔問3〕
少年は「うなづく」ことで、自分を気にして声を掛けてくれる他の少年たちに感謝を示しながらも、「うつむいた顔をあげずに黙ってい」るように、失意から回復しきったわけではない。以上のことからイが適切。
アは、「日没で他の生徒が帰ってしまい残念に思って」が合わない。少年が残念に思っているのは、皆が帰ることではなく、自分が練習に(ひいては大会に)参加できないことである。
ウは、「一人だけで見ていたい」が合わない。紺野が接近してきたことを嫌がっている様子は見えない。
エは、「孤立してしまうと不安に感じて」が合わない。そのような記述は無い。
〔問4〕
紺野が少年に披露した、北斗七星が「海の水を汲んでいるように見える」という知識は少年にとって意外で新しいものであり、また「へえ、あのひしゃくは水を汲めるのか。だてじゃなかったんだ」という言葉からもうかがえるように、少年にとって天空の世界が一気に身近になった瞬間だったともいえる。そのような少年らしい驚きから夜空に眼を転じたと考えられるのでアが適切。
イは、「せめて態度だけでも(・・・)示そうという気持ち」が合わない。続く数行を読むと少年が真に感心していることが読み取れる。
ウは、「説明が信じられず」が合わない。少年は特に疑ったりなどせず素直に感動している。
エは、「以前から関心をもっていた」が合わない。前後の文脈からしても少年は、それまで星は見慣れてはいたものの、特別な関心は抱いていなかったことがわかる。
〔問5〕
(解答例)
今日、落ち込んでみんなの練習を見てたら先生が声を掛けてくれて、北斗七星について色々教えてくれたんだよ。(50字)
【四】
(全体の要旨)
生態系(エコシステム)は、かつて考えられていたよう単純な直線的関係によってよりも、個々の生物種が多元的に他と繋がって複雑な網の目状のつながりを成しているといえる。我々人類は生物の多様性を重んじながら、人類存続に適した環境を子孫に伝えていかねばならない。
(各段の要旨)
第一段
エコシステムは複雑適応系である。
↓
第二段
人類は歴史の大部分において複雑適応系の一員であったが、最近の一万年間は農耕・牧畜から工業化に至る文明発展の結果、自然環境に影響を与えるようになり、環境問題も生じてきた。
↓
第三段
環境問題はまず公害として認識された。これは因果関係の特定も対策の策定も容易だった。
↓
第四段
次に着目されたのが、乱獲による動植物の絶滅の問題だった。
↓
第五段
二酸化炭素の排出による地球温暖化・気候変動と生物多様制減少との因果関係は、右の二つの例よりもずっと複雑である。
↓
第六段
化石燃料の使用が環境全体にいかなる影響を与えるのか、についての考察が「持続可能性」の概念を生んだ。
↓
第七段
食物網の単純化は人類存続に対して脅威となり得る。
↓
第八段
「持続可能性」の概念の根幹は、人類生存に適した環境をのちの世代まで継続することである。
↓
第九段
右の目標達成のためには生物多様性の維持が欠かせない。生物多様性の概念を理解するためには、従来の「食物連鎖」のような単純で直線的な関係ではなく、より複雑な「食物網」の表現が適している。
↓
第十段
食物網の「網」とは、生態系を形成する成員の機能が重複していることを表している。
↓
第十一段
生態系の成員の機能の重複が、かく乱に対する抵抗力となる。
〔問1〕
傍線部(2)「複雑適応系の動向に関する問題であり、単純な因果関係の理解にはならないのである」とは、言い換えれば「ある結果が多くの原因によって引き起こされている場合、○○さえ排除すれば問題は全て解決する」といったような要因が存在しない、ということである。問題の解決法として考えられるのが第六段の最終文「単なる(・・・)規制や(・・・)禁止などではなく(・・・)より広い視点での環境問題のとらえ方であろう」の箇所であり、これを端的にまとめているイが適切。
アは、「乱獲による動物や植物の絶滅の問題は(・・・)科学的ではない理由が大きな影響を与える」が合わない。第四段は動植物絶滅の原因として多くの要因を挙げており、人々が生物に対して抱いているイメージは特定種を保護キャンペーンの対象として選択する際に影響を及ぼすに過ぎず、絶滅の主要な原因とは言えない。
ウは、「次世代が豊かな生活を持続できない」と「人間には理解困難な問題」が合わない。第六段は「この複雑適応系を崩壊させずに、なるべく現在の豊かさを保ったまま次の世代の人間たちに受け渡していく」ことを実現可能な課題としてとらえている。
エは、「さまざまなシステムがからむ」が合わない。エコシステム(生態系)自体はあくまで単一の存在であって、複雑に絡み合っているのはエコシステムを構成する諸要素同士である。
〔問2〕
「これを続けていってシステムが激変をおこすようであれば、持続可能とは言えない」の理由は第八段の「地球生態系の持続可能性が問題なのではない。問題なのは、人間という生物が心地よく生きていけるような環境の持続可能性だ。(・・・)人間自身が環境を変化させることにより、その状態は変わってしまうかもしれない。」に見いだせる。この箇所に従ってエが適切。
アは、全体的な内容がこの文章の主旨に合わない。第五、六段の両方で、化石燃料の大量消費(と、それに伴う二酸化炭素の排出)と、地球温暖化・気候変動・生物多様性の現象、との間には単純な因果関係は存在しない旨が述べられている。
イは、「人間は現在の生態系にいつまでも適応できるとは限らないと考えた」が合わない。筆者は「この複雑適応系を崩壊させずに、なるべく現在の豊かさを保ったまま次の世代人間たちに受け渡していくにはどうすればよいか」(第六段最終文)を考えているのであって、現在の状態が変わらないのに人類がそれに適応できなくなるという事態は考えていない。よって不適。
ウは、「食物網が単純化すると、地球環境がどのように変化するのか予測できなくなる」が合わない。食物網の単純化が影響を及ぼすのは地球環境に対してよりも生態系(そして、それに依存している我々人類の暮らし)に対してである。よって不適。
〔問3〕
第八段落までの主張は、一言でいえば「人類存続のためには生物多様性の維持が必須である」ということであり、その理解の鍵となるのが従来の「食物連鎖」の概念に代わる「食物網」の概念である、ということである。以降第十、十一段はこの新概念の解説に割かれている。よってアが適切。
イは、「前段で述べた主張について、新たな具体例を挙げる」が合わない。第九段は今までの主張を詳述するよりも、むしろ新たな視点を提供している段である。
ウは、「前段で述べた主張について、その根拠となる事例を挙げる」が合わない。第九段は新論展開の段である。
エは、「批判的な立場から意見を示す」が合わない。非難・反論ではなく、次元を上げた新しい概念を提供しているのである。
〔問4〕
第十一段第1、2文が答えになっている。機能の重複は「かく乱(=秩序の急速な乱れ)」に対する抵抗力として働いている、というのである。その具体例が、ポール・エールリックのたとえ話に示されている。よってウが適切。
アは、「いくつかの種が絶滅しても生態系全体への影響がほとんどない」が合わない。確かに第十段において「種の不均一な構造」も生態系に強さを与えている、とは述べているが、第十一段の内容からも分かるように、主に述べられてるのは「機能の冗長性」についてである。
イは、原因と結果の関係が逆である。本論で述べられているのは。「持続が重複」をもたらすのではなく「重複が持続」をもたらす、ということである。
エは、「一つ二つが絶滅してしまうだけで生態系が直ちに激変してしまう」が合わない。それとは逆に、第十一段の飛行機の胴体をつなぐリベットのたとえ話「一つ二つを抜いても飛行機は保たれる」が示すように、一つや二つの生物種の絶滅は生態系に致命的ダメージは与えない。
〔問5〕
(解答例)
私の祖父の家には昔から大きな柿の木があり、毎年多くの実をつける。最近祖父は植木屋から柿の苗木を買ってきて、今ある樹の隣に植えた。その苗木は小さくて細く、何時になったら実をつけるのか見当もつかない。「どうして立派な樹があるのにまた植えるの」と私が問うと祖父は、先祖が子孫のために柿の樹を植えてくれたことに感謝して、自分も未だ見ぬ子孫に同様の恩恵を施したい、とのことだった。私も見習いたいと思った。(197字)
【五】
(要旨)
今、百人一首が人気である。人気の理由は百人一首が持つ競技性にあるだけではなく、一見特に意味を持たないように見えながらも、読む者が口に唱えることによって、古人と心を通わせるような言葉の力を百人一首の歌が持っているからである。
〔問1〕
傍線部(1)直後の馬場の言葉「現代の表現がある種の行き詰まりにきている」、「未来志向ばかりのなかで行き詰まった現代の表現方法が(・・・)百人一首の魅力的な言葉というものを再発見した」、「現代はそういう歌のなかの言葉の魅力というのが強く感じられる」等から判断する。これらは「現代の表現方法の行き詰まり」と、それを突破する可能性のある「百人一首の言葉の魅力」の二つにまとめられるので、ウが適切。
アは、「一語一語を奇妙に感じる」が合わない。魅力的に感じているので奇妙に感じているのではない。
イは、近年の百人一首興隆の原因が競技かるたと言う形態にある、としている点で誤っている。確かに競技としての魅力にも触れられているが、主に論じられているのは百人一首の言葉自体の魅力である。
エは、「難解な言葉について、意味の理解に苦労する」が合わない。確かに馬場は二回目の発言で「かくとだに」の歌の解説において、下の句を導くための序詞(じょことば=ある単語を引き出すための一連の言葉)「かくとだにえやは伊吹のさしも草」を「大変に難しそう」と述べてはいるが、三回目の発言で「歌を読んで、心地よい気持ちになる」と言っており、この難回さはむしろ愉しさに通じる、と考えている。
〔問2〕
直前の馬場の発言中の「(・・・)大変に難しそうなことばがくっついている。これが当時の歌人のプライドなんでしょうね。言葉を操るということが。』を受けて「それが気持ちいいんですよ。(・・・)百人一首の歌を読むと(・・・)その作者と『つながるような感じがします』」と述べ、それをさらに受けて馬場が「『つながる』というのは面白いですね。(・・・)百人一首にはそういう魅力があると思いますね」と述べている。つまり水原は技巧を単に文学的修辞(=言葉による技巧・技術)として味わうだけではない、感性ををも動員した歌の新しい味わい方を提案することによって対談を豊かにしているのである。よってアが適切。
イは、「現代の作者に関する内容に触れる」が合わない。水原が話題にしているのは百人一首の歌だけである。
ウは、「一つの歌に絞って自分の感想を述べる」が合わない。ここでは最初から「かくとだに」の歌一首についてのやり取りであって、強いて「一つの歌に絞っ」たわけではない。
エは、「それとは異なった自分の解釈」が合わない。水原は解釈についての異論を呈しているわけではなく、自分なりの新しい「味わい方」を示しているのである。
〔問3〕
「かくとやは」の歌の「さしも知らじな」は品詞分解(=単語を文法的機能に基づいて分析すること)すれば、
さ・・・「そのように」という意味の副詞
しも・・・強調の助詞
知ら・・・動詞「知る」の未然形
じ・・・打消推量の助動詞
な・・・詠嘆を表す終助詞
となる。それゆえ現代語訳の「そうとも知らないでしょうね」の部分が妥当する。
〔問4〕
Aの最後から2番目の馬場の発言の第三文「定家は七十代の半ばになってみて、歌とはやはり心がなくてはいけない、心がある言葉をもう一度考え直していたのでないかと思います。」から判断する。定家晩年の選歌意識は一言でいえば、歌は技巧に加え、そこに「心」が盛られていることが必須である、と言うことである。ゆえにエが適切。
アは、歌を味わう側の読解能力についてだが、本論にそのような言及はない。よって不適。
イは、確かにAの最後から三つ目の馬場の発言の第二、三文において、定家の晩年の作歌能力の低下と、それにも関わらざる歌への思い、に触れられているが、定家の自己評価が彼の選歌に影響を与えた旨は本論のどこにも読み取れない。よって不適。
ウは、「読むと気持ちが良くなり、作者との結びつきを感じることができる」ような鑑賞法は、対談前半に延べられた水原自身の味わい方であり、定家晩年の選歌意識については、これとは取りあえず切り離されて論じられている。よって不適。
〔問5〕 「もとより」とは「いうまでもなく、もちろん」という意味の副詞である。
(解答例)
チームの勝利のためには全員の協力が必要なのは、もとより言うまでもない。(35字)